天満天神繁昌亭

第一回“夢”露の新治寄席

さん喬・新治二人会


繁昌亭入口
手ぬぐいまき

(写真提供:東京都 SK様


【新ちゃんのへらへら日記より】

第一回 夢・露の新治寄席」

 私にとって繁昌亭で初めての寄席は、おかげさまで、補助席まで出る大入りで幕を開けさせて戴きました。独演会とせず「さん喬・新治二人会」とさせて戴いた効果は抜群で、今までに無い「電話問い合わせ」が何本もありました。今までの独演会は、お客さまのほとんどが世話人や私の知り合い。つまり、しがらみにすがって成立していました。それが今回は、落語ファンにアピールしたのです。もちろん問い合わせの全ては、さん喬師匠に関してでしたが(タアー!)。
 会そのものは、手前みそにな
りますが「いい会」だったと思います。今までの独演会も精一杯取り組んできましたが、今回は一味違いました。普段やりなれている「ちりとてちん」を、あれだけ稽古したのは初めてです。結果は、それほどいいとは思いません。稽古したことにとらわれて「硬く」なってしまいました。ふだんの勢いがなく、決して満足なできではありませんでした。鹿政談も同様です。けど「それでよかった」と思っています。それが今の私の力です。きちんと稽古したことはいつか力になると思います。心を落語に向けて戴いたさん喬師匠に感謝です。繁昌亭に感謝です。そして、死なれてみて分かった、師匠・五郎兵衛から戴いた「おかげ」です。今しみじみ「ありがたい」と思います。
 「術後満五年」の自分なりの節目にと思い計画した会を、このようにいい形に
して戴いた私は、本当に「幸せ者」です。当日お越し戴いた人はもちろん、ご都合悪くお見えになれなかった人も含め、心を寄せて戴いた全ての人にありがとうを申し上げます。甲状腺は無くなりましたが、向上はします。戴いたご恩に対して、それこそ「向上せん」と失礼です。願生ります。
 今回、第一回としましたが、第二回は今
のところ考えていません。私がもっといい咄家になれたら、また考えさせて戴きます。その日をめざして願生ります。中国語落語と、繁昌亭での「夢・新治寄席」。私にとって大きな夢が二つ形になりました。何をやっても中途半端だった私としては、上出来です。咄家になってしみじみよかったと思っています。ありがとうございます。

(2009.5.12)


  「鹿ともみじ」

 今、新幹線の中でうとうとしてたら、乗務員さんが「広島銘菓、もみじまんじゅうはいかがですか」と売りに来られました。「師匠、五郎兵衛に買って帰ったなぁ」とぼんやり見送りながら、ふと気付きました。3月15日に、もみじまんじゅうを師匠に持って行き、鹿政談の話をしました。結果、これが師匠と最後の会話になったのですが、考えたら「鹿ともみじ」です。出来すぎです。12日の繁昌亭、さん喬師匠との二人会に「鹿政談」を出したのは、師匠との最後の会話があったからですが、今、もう一つ、縁を思い出しました。
 実は、師匠、五郎兵衛が、唯一さん喬師匠につけた(お稽古をした)ネタが「鹿政談」なのです。東京上野、鈴本演芸場に出ていた時、さん喬師匠がお稽古に来られました。確か、地下の和室での稽古でした。そして私は、なんとそのお稽古に同席しているのです。今思えば、実に気合いの入った稽古でした。そこに居合わせることができたのは幸せなことです。そのことを忘れて、「鹿政談」を選んだのです。何か不思議な縁を感じます。「鹿政談」は私にとって、忘れられな
いネタになりました。

(2009.5.16)


【みなさんからのメールより】

 久しぶりにメールします。明日12日の繁盛亭、鳥取県倉吉市から夫婦で駆けつけます。「ちりとてちん」を始め、大変楽しみにしております。我が奥様のうんじゅう何回目かの誕生日に当たりますので、込みで楽しみです。よいプレゼントになればと期待。「笑門福来」。【2009/5/11 鳥取県倉吉市 OY様】(遠路はるばる鳥取から、ご苦労様です。ご夫婦で繁昌亭、お楽しみ下さい。お気を付けてお越し下さい。)


 12日の二人会、仕事を早めに切り上げて、補助席めがけて行って来ました。おかげさまで、無事確保。嬉しかったです。なんせ、ダメもとのつもりで行きましたので。二人会も3時間たっぷり。その上、最後には客席にたくさん投げていただいた手ぬぐいもゲットしました。この手ぬぐいは、ほしがっていた田舎の友人に送るつもりです。ありがとうございました。これも、ホームページやメールNEWSのおかげだと思っています。感謝。重ねてありがとうございました。【2009/5/14 大阪府堺市 IK様】(繁昌亭は、早くチケットが売り切れてしまい、ご迷惑をおかけしました。ホームページがお役に立てて、嬉しく思います。)


 第1回「夢☆露の新治寄席」に行ってまいりました!東京からの遠征です。1泊2日を丸々繁昌亭で過ごしました。どっぷりです。昼→夜→昼と新治師匠&さん喬師匠を満喫しました☆ 夜席は満員御礼。昼席より女性の方が多かったように思います。しかも着物の方が結構いらっしゃって華やかでした。演目は、「犬の目」・喬介、「ちりとてちん」・新治、「百川」・さん喬、お仲入り、「腹話術」・千田やすし、「短命」・さん喬、「鹿政談」・新治(敬称略)でした。◆新治師匠が登場した時は拍手喝采、なかなか止みません。「目に花粉が・・・」と目をこする師匠。私も目にちょっと花粉が・・・。さん喬師匠が出てきたときは「待ってました!」のかけ声が。さん喬師匠の二席目のまくらでは新治師匠との馴れ初め?などをお話してくださいました。「初めてお会いしたのは、25、6年前、鈴本演芸場でしょうか。大阪にもこんなに実直で、真面目な方がいるんだと思いました。いえ、いないと思ってたわけじゃないですけどね?」。お楽しみとされていた二席目、何をされるんだろうと思っていたら、短めのお噺で「短命」。人情噺など、長講で聴かせるさん喬師匠ですが、今回はトリの新治師匠を立てていらっしゃいました。そこにも、さん喬師匠の新治師匠への想いのようなものを感じました。トリの新治師匠は「鹿政談」。五郎兵衛師匠に最後に稽古をつけていただいたお噺です。◆高座が終わると、そのままその場に残り、お話をされました。 5月12日が何の日か。5年前のこの日、新治師匠は甲状腺を全摘出されたそうです。なので声が出にくいそうです。私は初めて聞く事実でした。いつも元気に大きな声で高座や講演を務められている師匠からは想像がつきません。それ以降、落語から心が離れている時期もあったそうですが、さん喬師匠との出会いにより、あらためてやる気が湧いてきたそうです。そしてこうして、たくさんの方に見守られて繁昌亭にて初の独演会をされるに至りました。◆これは私が勝手に感じていることで、僭越ではありますが、五郎兵衛師匠は天国へ召される前に、新治師匠に、さん喬師匠という、大切な出会いを残してくれたのだと思います。さん喬師匠と、これからも東西問わず、落語界を盛り上げていっていただきたいです。◆最後に、楽屋見舞いにいらしていた芸人さん方が舞台に総出され、新治手拭いがまかれました。隠し撮りした写真をお送りします(隠れてませんが)。また新治師匠の高座を聴ける日を楽しみにしています!!ありがとうございました☆【2009/5/14 東京都 SK様】(最初、わざわざ東京から繁昌亭に来たいというSKさんに、新治さんは気を遣って、なかなかチケットを売ろうとしなかったそうです。そんなエピソードにも、新治さんのお人柄を感じてしまいます。)


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