吉本隆明差別表現図書<1>

解放社会学研究所             江嶋 修作

 吉本隆明『老いの超え方』朝日新聞社への批判分を、『語る かたる トーク』に何回かに分けて書いていきます。その1回目の記事です。みなさんには、是非目を通した上でご教示ください。



思想性の闇

何故気づかなかったのか

 吉本隆明『老いの超え方』朝日新聞社刊について、この『語る・かたる・トーク』で、杉藤会長の「私のひとりごと」、三谷誠さんの「やってはいけない」、斉藤洋一さんの「古文書はかたる・古文書に聴く」の中で取り上げられ、それぞれの視点からキチンと批判されている。
 私も、この本に対しては激しい怒りを感じ、黙っていることが出来ない。
 杉藤会長が、先月号で「三年六ヶ月の間、多くの人が読んだであろうにも係わらず、抗議の声が何処からも誰からも起こらなかった事が今一番心に引っ掛かっている悩みである」と書かれている。
 私の友人が出版元の責任者から直接聞いた話によると、この本は単行本だけで一万五千部作られ、一万三千部が販売されていると言う。文庫本が、これとは別に加わる。
 ということは、少なくとも一万人以上の人たちが、この本を手にし、問題の個所にも目を通した事になろう。問題個所の表現は、人権問題、同和問題に係わっている人が一目見れば、その差別性がすぐ分かるような代物である。

明らかな差別表現

 第一に、吉本氏が「今も特殊部落問題というのがあるでしょう」と言う。「特殊部落問題」って、何という表現だ。このような表現の仕方は、聞いた事がない。これまで(歴史的に)「特殊部落」という言葉を用いて、一定の人々を「特殊化し」「蔑み」「揶揄する」差別的表現方法が問題になり、安易な使用を慎もうという認識がマスコミ界でも常識になっていたのではないのか。
 これは、単に「特殊部落」という言葉を使ったか否かの問題ではない。この言葉を使う事で表現される差別性が問われたのだ。吉本氏も出版元の朝日新聞社も、そんなにものを知らない非常識な人達なのか。
 第二に、「うかうかと話題にしていいかげんなことを言うと引っ掛かってしまいますが。僕は引っ掛かったこともあります」と言う。斉藤先生も指摘されている通り「うかうか」「いいかげん」とは、吉本氏の、同和問題に対する「いいかげん」な軽視の態度を、そのまま表している。
 彼にとっては、多くの人が血と汗と涙で積み上げてきた運動でさえ「引っ掛かる」程度の問題に過ぎない。差別解消に向けて取り組んできた多くの当事者、関係者に対する侮辱である。人を差別することに対する、この鈍感さは、一体どこから来るのか。
 このように問題個所の一部を取り上げても、これほど差別性はハッキリしている。

どんな人が読んだのか

 この本の対談記事は、その発言の差別性を指摘し、個々に分析していけば、この紙面の十回分では書き切れないほど差別表現に満ちている。ここでは、これ以上取り上げない。
 これほど分かりやすい、これほど露骨な差別表現を、何故朝日新聞社の出版関係者が気がつかなかったのか。マスコミの世界で、「朝日新聞社は人権問題に対する先進的取り組みを担ってきた」と言うのは、単なるポーズだったのか。出版社の問題に関しては、次回に改めて取り上げるつもりなので、ここではこれ以上触れない。
 更に深刻なことは、多くの読者がこの差別表現に満ちた記事を読んで見逃してきた事実である。全国各地の図書館に置かれ、この本を借りて読んだ人を加えていけば、もしかすると五万人以上の人が目にしていた可能性さえある。
 単行本出版以降、三年半もの長い間、誰一人指摘する人がいなかったのは何故か。人権教育、同和教育を半世紀近く取り組んできたはずの地域からも、何の問題提起も起きてこなかったのは何故か。
 もしかすると、これほど大量に出回った本を、実は人権・同和教育に熱心な人は、ほとんど読んでいなかった、と考えるべきではないだろうか。そう信じたい。
 では、一体どんな人達が読んでいたのか。

思想性の落とし穴

 このことに関して、三谷さんの書かれた先月号の「やってはいけない」の記事は痛烈で面白い。特に、ヘルメットの色で分類され登場する「三人の吉本ファンの知人の分析」はユーモアと示唆に富んでいる。
 この本の購入者、読者は、どのような人達だったのだろうか。恐らくその多くは、本のタイトルよりも著者(吉本隆明)の名前で本を手に取った人達だと予想される。
 私たちの学生時代、吉本氏への心酔者は、回りに大勢いた。吉本氏にほとんど関心のなかった私の偏見が入るかもしれないが、彼や彼女達には共通点があった。「高遠な理論(理屈をこね繰り回すの)が大好き」で「自分の言葉(実体験を通して語られる生きた言語)がない」、その上「雑用をしない(怠け者)」。これが特徴だった。別の角度で言えば、「義理」と「人情」に鈍感な奴が多かった。
 自称「思想家」、自称「理論家」、自称「知識人」は、一般的に言っても、人権問題、差別問題に関心を向けない傾向にある。吉本氏にとって、同和問題は「取るに足りない」問題だったに違いない。これは、左翼系(?)思想家の一般的特徴でもある。
 「理屈をこね繰り回す」人で、同和問題解決に熱心な人など見たことがない。差別問題への係わりは「情」「共感」を抜きには成立しないからである。
 思想性の落とし穴が、ここにある。


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