新ちゃんの へらへら日記  



2011年1月〜2011年3月

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2011年1月

 「明けまして おめでとうございます。」 (2011/1/1)

 「明けまして 何かおめでたいですか?」昔はこんな年賀状をだしたこともありますが、今は素直に「おめでたい」と感じます。暮れに来たたくさんの喪中ハガキ。今年は例年より多いように思いました。人はいずれ死ぬのですが、そのことを改めて感じました。その中で、「まだ生きてる・生かされている」と感じながら、新年を迎えられることは、本当にありがたく、おめでたいことです。生きて新年を迎えられたものどおしが「おめでとうございます」と挨拶しあえるのは、本当にありがたいことだと思います。
 去年は、色々と願生り、充実した一年でした。「今年も願生ります」と言うべきところですが、今年はあまり願生ろうとは思いません。なるべく、ぼちぼちと、願生ろうと思います。本当に私がやれること、やるべきことは何なのか?大事にするべきことは何なのか?切羽づまってはおりませんが、残り時間は限られていると思います。大事に、ありがたく、この身と与えられた時間を使おうと思います。
 どうぞ皆様、おすこやかに、この一年をお過ごしくださいませ。どうぞ笑顔でお過ごしくださいませ。そのためにもこの一年が、平和でありますように!

元旦  露の新治 平伏


 「福音落語のお知らせ」 (2011/1/6)

 一門の、露のききょうさんが「福音落語」の会をします。
 第78回京都レディースランチョン 笑いと賛美で福音を!「福音落語」
 日時:2月24日(木)10:30〜13:30(食事付き)
 会場:リーガロイヤルホテル京都

 出演:露のききょう師(露の五郎兵衛長女)「神方人情噺 蘇生の息子」
    菅原早樹師(栗東キリスト教会牧師夫人・露の五郎兵衛次女)「お話と歌」
 会費:5000円(食事代込み)


 「元町寄席恋雅亭」 (2011/1/10)

 兵庫県神戸市の元町寄席「恋雅亭」(れんがてい)。私は、「紙入れ」をかけました。最高のお客様に支えられ、楽しく務められました。恋雅亭のお客様は、私の中でナンバーワン!です。正直、独演会のお客様よりいいのです。私のことを全く知らないのに、温かく迎えてくれはります。ほんまに落語がお好きなんでしょう。ありがたいかぎりです。

 笑福亭三喬さん、獅子舞。


 「ぼたん鍋」 (2011/1/11)

京都にて。


 「紀伊半島一周中。」 (2011/1/13)

三重県熊野市立有馬中学校。

熊野七里御浜(国立公園)


 「新春初笑い 新ちゃんのお笑いじんけん高座」 (2011/1/15)

 大阪市平野区の「市民交流センターひらの」にて「新ちゃんのお笑いじんけん高座」。

 手作りの看板、ありがたい!

 豊来家玉之助さんの獅子舞も絶好調!

 色紙を書くのも一仕事!


 熱演中の私。

  

(画像提供:豊来家玉之助さん)


 「訃報 岩井好子先生が亡くなられました。」 (2011/1/16)

 訃報のメールが届きましたなんともいえず悲しい気持ちです。
 『悲しい、辛いお知らせです。「うどん学校」「麦豆教室」の岩井好子(いわいよしこ)先生が2011年1月6日午後、入院先の川崎市内の病院で亡くなられました。享年85才。川瀬俊治さんのジャーナリストネットの記事で知りました。とりあえず、皆様にお知らせいたします。』
 いろんなシーンが、文字どおり走馬灯のごとく浮かびます。岩井好子先生が天王寺夜間中学へ赴任して高野雅夫さんと出会わなければ、奈良の夜間中学(春日、天理、畝傍夜間中学)はありません。退職金を前借りして「映画、うどん学校」を制作するなど、ほんまにずっと身銭をきっての運動をされてきました。人生を夜間中学、識字、つまり教育にかけて生き抜かれました。後にも先にも、どこにも、あんな方は知りません。見事な人生だったと思います。遠藤幸子先生(元大教組婦人部長)と共に、夜間中学、識字運動における私の師匠です。三里塚空港反対集会に、反対同盟の戸村一作委員長を奈良に招きました。奇しくもその日、狭山裁判の上告が棄却されました。橿原市で解放同盟青年部が緊急抗議集会。講演を終えた戸村委員長を橿原までお連れしたのが岩井先生。抗議集会は、戸村委員長のサプライズ登場でとてつもなく盛り上がったそうです(私は集会の後片付けをしていました)。去年は、私といっしょに、うどん学校の若手で、春日夜間中学でも講師を勤め、私設夜間中学(うどん学校)と公立夜間中学をつないだ松石高之(まついしたかゆき)さん、夜間中学を作る会会長で、奈良の日中友好運動、平和運動のリーダーの老田誠一(おいたせいいち)さんとお別れしました。ほんまに寂しい限りです。ただただ、南無阿弥陀仏と唱えるばかりです。

 合掌。


 「今日の柳田格之進」 (2011/1/22)

 第2回目となった「いかいの寄席」。一門の露の都師匠とともに芸術祭賞に輝いた笑福亭鶴二さんをトリに、いい会となりました。番組は「餅屋問答」・喬楽、「柳田格之進」・新治、(お中入り)、「不動坊」・鶴二。私の、「柳田格之進」は、旭堂南陵先生から戴いたもの。いま「格之進」といえば、なんといっても柳家さん喬師匠。聞いた人が本当に感動の涙を流します。ところが、不思議なことに、これだけさん喬師匠のお伴をさせていただいているのに、「さん喬版」は聞いたことがありません。これもご縁のもんです。そして音源を捜せば聞けるのに、それもしていません。「聞かせて戴くときはナマで!」という思いがあります。この「格之進」、元は講釈ネタ(?)なのか、オチがありません。それで私は作ってみました。囲碁が噺の発端なので、「なんで碁盤をお切りになったんで」と問う主人(藤兵衛)に格之進が言います。「元はと言えば、我々二人が碁に夢中になったため生じたこと。全てはあの盤が元じゃ。それにのお、白黒決着した上からは、盤はもはや無用じゃ」。楽屋で話しても「いいですね」と言ってもらえます。5回ほど高座にかけましたが、最初からこのオチでやってます。
 25日は繁昌亭夜席「天神寄席一月席 年男、高座でハネる!」、明日は「ほろ酔い寄席」に出して戴きます。ありがたく、楽しく高座を勤めさせて戴きます。


 「今日はこちらで願生!」 (2011/1/23)

 今日は「ほろ酔い寄席」で一席。番組は、「真田小僧」・壱之輔、「母恋いくらげ」・春蝶、「おごろもち盗人」・春若、(お中入り)、「狼講釈」・新治、「鰻のたいこ」・春之輔。春団治一門に、分家の露一門が、一人ずつ入れて戴いています。終わって、春団治師匠を囲んで、打ち上げ兼新年会。それも杉本町駅前で。高校同期のYさん(区長)も駆けつけてくれ、嬉しかった!

  


 「椿井小学校。椿井の由来は?」 (2011/1/25)

 今日は、奈良で一番古い小学校、椿井(つばい)小学校で「お笑い人権高座」。椿井の由来が校長室でわかりました。

 椿井小学校の向かいは、古梅園。奈良の特産品、墨の老舗です。さすがの構え。

 古梅園のある、ここらあたりから「奈良町」。

 椿井小学校と古梅園の位置は、こんな感じです。手前の屋根が古梅園。


   「柳田格之進、願生りました!」

 椿井小学校での講演の後、天満天神繁昌亭の夜席で「柳田格之進」。団体客のお客さまがたくさんだったので、ちょっとからかったかもしれないのですが、一所懸命やらせて戴きました! 終演後、お見送りをしてたら、何人かのお客さまから、「よかった」と言ってもらいました。ちょっとホッとしました。もちろん、あかんとこはたくさん自分でわかっています。精進、精進!


 「三田学園。創立百周年!」 (2011/1/26)

 今日は名門、兵庫県三田市にある三田学園の創立百周年に呼んでいただきました。三田学園の生徒さんにお笑い人権高座。三田学園には築百年の校舎があり、現在も教室として使用しているそうです。一年生は必ずこの校舎で学ぶそうです。

築百年の校舎


 「奈良市立相和小学校。給食を戴きました。」 (2011/1/27)

 奈良市の東、相和小学校。全校生徒50人弱。保護者、地域の方も含め80人。給食を戴きました。懐かしくもおいしかった! パンとご飯が交互に出るそうです。圧倒的に、ご飯が人気とのこと。納得のおいしさ!ありがとうございました。


「久しぶりの呉。」 (2011/1/28)
 
 今日は、広島県呉市、日帰りです。広島駅から、久しぶりの「広行き」の電車に乗りました。昔、「広行き」を「広島行き」と間違えて乗り、慌てたことがありました。かつては、この沿線も軒並み人権高座で回らせて戴きました。ほんまに、夢のようです。今日は、西本願寺の安芸南組(そ)のお集まりです。有名な安芸門徒。解放運動にも熱心な団体です。願生ります!

 「カタログハウスの落語会。」 (2011/1/29)
 
 東京、新宿で、カタログハウスの落語会。番組は、「小町」・柳家さん坊、「笠碁」・さん喬、「悋気(りんき)の独楽(こま)」・新治、お中入、「壺算」・さん弥、「猿後家」・新治、「ねずみ穴」・さん喬。 さん喬師匠の「ねずみ穴」、私が言うのも変ですが、最高でした! 今まで、スッキリしなかった、「兄の情」が伝わってきて、場内、すすり泣きの声も。私は、まああんなもんですか?という感じでした。

 「北海道へ 。」 (2011/1/30

 今日は、北海道へ向かいます。北海道は大好きなところですが、大寒に行ったことはありません。今、シャワーをしてたら、携帯の留守電に、先方のお世話いただいてるお尚様から、さわやかな声でメッセージが入りました。「北海道は快晴! 気温は、マイナス15度くらいかな・・お気をつけてお越しください」。氷点下15℃! そんなさわやかに言われても、こちゃ、普通の格好。未知の経験をしてきます。


 浄土真宗本願寺派(お西)の、北海道婦人会研修会。私がしゃべって、その後、5〜6人の小グループに分かれ、法座(話し合い)、その後、まとめに参加し、夜、落語を一席。ありがたい仕事。願生ります!


 北見玉ねぎラーメン。空港にて。おいしく戴きました。

 一面の雪景色。 女満別上空より。

 網走湖夕景。女満別にて。

 女満別夕景

 女満別駅

 やはり寒さのレベルが違います。お風呂でぬくもり、濡れたタオルを窓の外にかけてみました。2分ほどでカチカチに凍りました!外に出るのは命がけです。


 「さん喬師匠と北海道5日間 。」 (2011/1/31)

 女満別から千歳へ行き、さん喬師匠と合流。今日から五日間、御ともをします! 今日は「新春札幌別院寄席」。

 オホーツク海。東北海道の冬景色はすばらしい!

 女満別にて。朝の景色。


 至るところに霧氷が!

 新春札幌別院寄席「さん喬 新治 二人会」。

 さん喬師匠の高座

 本日のネタ。 トリネタのさん喬師匠「井戸の茶碗」に、皆さん、ジーン!


2011年2月

 「朝日町サンライズホール「極楽寄席」。」 (2011/2/1)

 士別市と合併した朝日町で、「極楽寄席」。100人弱のお客で、すばらしい高座、音響、スタッフと、ぜいたくな落語会。演目は、「ちりとてちん」・新治、「二番煎じ」・さん喬、お中入り、「狼講釈」・新治、「幾代餠」・さん喬。さん喬師匠の「二番煎じ」に聞き入ってしまいました! 人が生きてる。情景が浮かぶ。だから何気ない一言がたまらなくおかしい。自分の一本調子が情けなく思います。精進、精進! 泊まりは、旭川です。もちろん一面の雪景色。


 「士別市民文化センターの高座。」 (2011/2/2)  

 高座の上にマイクがありません! 実は毛氈(もうせん)の下に仕込んであります。

 士別寄席のネタです。「風呂敷」は、子どもがいたので「紙入れ」から変更しました。さん喬師匠の「掛け取り」は、万才、狂歌、義太夫、歌舞伎、けんか、そして三河漫才とたっぷり! 長講なのにお客がどんどん元気になって、笑いも拍手も大きくなってきます。最後に万雷の拍手。こんな高座がしてみたい!


 「第一回遠別寄席」。」 (2011/2/3)

 北海道3日目。一口に北海道と言っても、さすがに広い。長距離移動で、遠別に到着しました。うどん屋さんにあったポスター。りっば! 願生!

 

 お客様は90人ほど。さん喬師匠、出し物はなんと「子別れ」。子は鎹(かすがい)では、舞台袖の世話人まで涙! 落語の力、さん喬師匠の力! 願生ろうと思いました! 


 「北海道苫前町 とままえ落語会・東西二人会」 (2011/2/4)  

 かすかに見える水平線。北の海、日本海、夕景。

 苫前のお接待。手書きの敷き紙。この上にお食事が。こまやかなお心づかい。ありがたい!

 楽屋にて、さん喬師匠と。


 「北海道5会場、無事終了。」 (2011/2/5)  

 5会場、無事に打ち上げました。いろいろ勉強になった5日間でした。さん喬師匠のすごさ。改めてわからせて戴きました。ふだんめったに落語を聞かない人たちの前で、連日大ねた。「井戸の茶碗」、「幾代餠」、「掛け取り」、「子別れ」、最終日、苫前では「文七元結(もっとい)」。聞き入ってしまいました。私はというと、情けないかぎり。このままではいけないなと思いました。カタログハウスの落語会を含め六日間、本当に勉強になりました!

北の海、日本海。


 「今日の高座。」 (2011/2/6)

 今日は、視覚障害者福祉協会・文化祭。文化部長さんが近所の方で、ご縁を戴きました。ありがたく勤めさせて戴きます。

 すばらしい高座を作って戴きました! いつもは立って講演形式の漫談ですが、今日は落語をやってみました。演目は「つる」。よくお笑い戴き満足。さん喬師匠が、「講演だけでなく、落語をやるべきです。」とアドバイスをしてくださり、そうしました。さん喬師匠の言葉は、なぜか素直に聞かせて戴けます。


 「露の五郎兵衛第二回追善の会のご案内。」 (2011/2/7)
 
 亡くなって二年。命日に追善の一門会が行われます。3月30日(水)18:30〜天満天神繁昌亭・夜席。出演は、千橘・慎悟・都・団四郎・団六・新治・吉次・ききょう(綾川文代)。前売り2500円、当日3000円(予約受付中)どうぞよろしくお願いいたします。

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 「京田辺市民寄席のご案内。」 (2011/2/8)

 京田辺市民寄席。2月20日(日)14:00開演。会場は京田辺市商工会館キララホール。出演は、桂米左、豊来家玉之助、露の雅、新治という顔ぶれ。前売り1300円(当日1500円)。問い合わせは、次田のり子事務所(市民寄席実行委員会事務局)まで。
 「速報・3月に狭山中央集会。『狭』山が動く!」 (2011/2/9)

 狭山パンフを読む会(私も会員です)からのお知らせです。
★来月、東京高裁において、第3次再審請求審の第6回三者協議が開かれます。それに合わせ、12月に続き市民集会が開かれます。弁護団は5月の開示証拠等を元に12月に続けて新証拠を提出し、東京高裁に事実調べを求めていくことにしています。今年は証拠開示、事実調べ実現を勝ち取っていく大きなヤマ場となります。東京高裁が事実調べを、東京高検が更なる証拠開示をおこなうよう、世論を大きくしていくための一環として以下の要領で集会が催されます。
 日時:2011年3月24日(木)午後2時〜4時半
 場所:東京・永田町 星陵会館
 内容:第3次再審の現状と課題、新証拠の意義(弁護団報告)
  ・石川一雄さんの訴え
  ・当面の闘いの課題はなにか(基調報告)
  ・当面の闘いについての意見交換ほか
 時間の空けられる方は、是非ともご参加下さい。冤罪が次々と暴露されている今、やっと狭山に風が吹いてきました。願生りましょう!


 「三重県伊賀市立青山中学」 (2011/2/10)
 
 旧青山町時代に一度伺っています。校長室に私の色紙をかけて戴いてました。寒い体育館でしたが、きちんと聞いて、ちゃんと笑ってくれました。最初に生徒の人権学習の発表。その後が私。そして、生徒の発言。250人ほどの全校生徒、それに先生方と保護者。とても手を上げられる雰囲気ではありません。それでも途切れずに発言が続きます。すばらしい子たちが育っています。先生方に感謝!

 「立正佼成会大和教会成人式」 (2011/2/11)

 三重県青山中学から、神奈川県大和市まで来て泊。朝、立正佼成会大和教会へ。成人式の式典の後、出番を戴きました。新成人と保護者のお話。若さ、希望、宝の子という思いが伝わってきます。高座を作って戴き、お話を1時間ほど。ここは三度目のご厄介ですが、いつもよくお笑い戴きます。最後に、落語「風呂敷」を一席。かなりうまくゆきました。

 「深川・雲光院。」 (2011/2/11)

 ありがたく教会をあとにして、小田急、メトロを乗り継ぎ、清澄白河の深川雲光院へ。松井孝治参議院院議員が世話人。駆けつけると、さん喬師匠と松井議員が笑顔で迎えてくださいました。松井議員は、セーター姿。お客さまを会場に案内しておられます。さすが、さん喬師匠のお友達、気さくなお人柄。きっとさん喬師匠と二人で、高座を作るところからやって戴いたのだと思います。北海道でも、さん喬師匠は率先して動かれていました。とてもお弟子さんが12人もいる大師匠と思えません。高座に磐石の裏付けがあるので、かっこをつける必要が無いのだと思います。ほんまに素敵な師匠です。番組は、「平林」・喬の進(二つ目)、「兵庫舟」・新治、「らくだ」、さん喬、お仲入り、「ふろしき」・新治、「福禄寿」、さん喬。「福禄寿」は、雪の日にふさわしい、円朝作の人情噺で、お客様も大満足。終わって懇親会は、かなりの人数でした。パスコのCMを作っているフードコーディネーターの方や師匠の新作を作られている大学教授、文化庁長官夫妻など多彩な方々が参加。かなりの落語通も。中に、なんと、大阪から来られた方がいて、暮れの繁昌亭での「仲蔵」についてお尋ね戴き、びっくり!落語ファンは煮詰まってます。

 「落語協会 上野黒門亭」 (2011/2/12)

 上野、落語協会ビル二階での「黒門亭」。私はもたれ。「皿屋敷」をやるべく、鳴り物の打ち合わせもしましたが、喉の調子が悪く、急きょ「ごんべえ狸」に変えました。ネタ出しでなくて助かりました。東京の通のお客様が集まる黒門亭に三度目。ありがたいことです。今年はさん喬師匠のおかげで、落語の高座が増えました。ほんまにありがたいかぎりです!

 「第四回ならまち演芸。」 (2011/2/18)

 奈良市商店街振興会のお世話で、無料招待の「ならまち演芸」。会場を「ならまちセンター」に戻し、昼夜二回公演。定員600人に1500の応募があり、その結果抽選に。もちろん満員です。番組は、「時うどん」「いらち車(夜)」・露の眞、マジック(昼夜で全く別ネタ、すごい)・こんばらさん、「相撲場」「ふろしき(夜)」・新治、「どじょうすくい」・眞、お仲入り、「太神楽曲芸」・豊来家一輝(ほうらいやかずき、こちらもすごかった。特に、くわえばちの土瓶は、どよめき、歓声、大拍手)、横山ホットブラザーズ(圧巻の35分。落語でも長講。今日初めて、ホット師匠は音楽家だとわかった。不覚)。お客様も大満足。最後に抽選会。番組編成の私としても、ありがたいかぎりです。帰りにお見送りをしてたら、皆さんお礼を言ってくださいます。「よかったわぁ。またちょいちょいやって!」。ちょいちょいやりたいけどやれますかいな。

 「出入り口!」(2011.2.19)

 今から、大阪商工会議所、国際会議ホールで講演。三井住友銀行のOB400人の研修会です。さすがは銀行、口座(高座)を大切にして戴きます。谷町四丁目から来たんですが、なにげなく見上げて気づきました。出口では無く、「出入り口」なんですね。そら確かにここから入ります。乗る時は、何番とかに気にしません。降りてから、何番か気にするので、「何番出口」となったのですね。それで思いだしました。その昔、「成人病の予防と検診」というテレビ番組の司会をしていて、テーマが「子宮頸ガン」。フリップを見ながら、先生が「子宮の入り口にできる」と説明されました。するとスタッフの女性が「入り口はおかしい」とNGに。考えたら、赤ちゃんが出てくるので女性からすれば出口。入り口というのは男の発想。どう言ったらいいのか?となって私。「出たり入ったりする口!」。あっさり却下されましたが。

  「コーヒー、アイスクリームの『ぜー六』。」 

 大阪市中央区(東区)東警察隣、コーヒー、アイスクリームの「ぜー六」。ここのアイスクリームを食べるのが40年前(!)の私の、夏の日の楽しみでした。この東にある、内本町を渡った所で父が商売をしていて、大学入試にも通らず、身の置き所の無かった私は、だらだらと父の店の手伝いをして日をやりすごしていました。ほんまにしんどかった。そして、NHK上方落語会の公開録音のチケットが当たり、落語と出会いました。今思えば、私が落語家になったのは、ほんまにたまたまのことで、とても自分の意思も芯もありませんでした。今の青年のほうが、よっぽどしっかりしています。アホな頼りない兄ちゃんでした。

  「学ぶことは生きること!」

 夜は、大和高田の労働会館へ。結婚式や講演、集会でよく通いました。夜間中学と教育を考える集会「大和高田市の教育を考える集会・学ぶことは生きること! いま、大切にしたいこと」。地元で反差別の運動を積み重ねてこられた、たつみ千津子さんの呼び掛けで、志ある方々が50人ほどの集会です。私は30分ほど時間を戴き、私設奈良夜間中学・うどん学校の話を。お供養になるかと思いまして、亡くなった方々、岩井好子先生、遠藤幸子先生、老田誠一(奈良に夜間中学を作り育てる会)会長、松石高之さんの名前を挙げてお話させて戴きました。実は、朝、高松の新治会の事務局長を勤めて戴きました、中村ひろみさん(アナウンサー)の訃報が届きました。まだ61歳。よお飲みました。いつも笑顔の中村先輩でした。ほんまに、みんないなくなってゆきます。合掌。



 「京田辺市民寄席。」 (2011/2/20)

 京田辺市民寄席。番組は、「鉄砲勇助」・雅、「紙入れ間男」・新治、「豊竹屋」・米左、(お仲入り)、次田のりこ代表世話人挨拶、「太神楽・獅子舞い」・豊来家玉之助、「柳田格之進」・新治。残念ながらお客は過去最低の人数でしたが、お客様と高座が一つになって、いい寄席ができました。喉の調子がよくなく、長い話はしんどいかなと思いましたが、願生りました。実は「格之進」はYさんのリクエスト。私の落語に期待していただけるなんて、もったいないことです。もう一席は悩みましたが、あまり声を張らないでやれる「紙入れ」にしました。通の方もおられましたが、全くの初めてという方もおられる中願生りました。「格之進」は、繁昌亭ではかなりカット。いかいの亭では、「番頭がお金を受け取りに行くところ」もカット。 いろんなパターンをやってみて、「落語を楽しんでいる自分」に気づきました。ほんまにありがたいことです。昨日は打ち上げでも「格之進」が話題に。「一人は切らんと、おさまらんやろ」「娘が身売りするしかないのか?あと娘はどうなるのか?」などなど。ほんまにいろいろ自由に考えてくれはります。落語は、「噺家とお客が共同で作り上げるもの。それも個々に」とよく分かりました。私の立場は「お客様が自分の頭の中のスクリーンに、自分なりの解釈で映像と人物、物語を写すお手伝い役」だと思います。小三治師匠の言葉「話なんだから所作はいらない。登場人物の気持ちになって、後は話に身を任す」というのが、ちょっと分かるような気がしてきました。落語はなかなか素敵な芸能です。ほんまにそう思います。願生!

 「東大阪市立意岐部小学校。」 (2011/2/25)

 今日の職場。東大阪市立意岐部小学校図書室。校長先生たちが舞台作りをして戴きました。

 「三重県伊賀市阿山町にて。」 (2011/2/26)
 三重県伊賀市阿山町にて、お笑い人権寄席。勢朝さん、玉之助さん、インディさん、主催の部落解放同盟三重県連の皆さんのお力で、何より来て戴いたお客さま、本当にありがとうございました!そのまま博多へ行くつもりが、ぐったり疲れ、朝イチでもなんとか間に合うこともわかり、いったん帰宅しました。今までこんなことはなく、「さあ、次行くで!」という元気だったのに、やはりパワーは落ちています。

 「体内時計の働き。」 (2011/2/27)

 きのうはぐったり疲れたはずなのに、今朝は4:58に自然に目が覚めました。目覚ましは5:00にセット。体内時計があるみたいです。淀川を渡っているときに見事な朝日が昇ってきました。しみじみきれいやと思います。ありがたい、もったいない。そんな思いで心がいっぱいになりました。願生!

 「雪どけの味。」 

 「雪どけの味がする」と言われても、よおわかりません。ラベルには「鳥取県・奥大山は豊かな自然の宝庫。雪どけの水はブナの森に抱かれて、やわらかな味になる。」と書いてあります。なるほど。ぜひ皆さんも一度味わってみてください!

 「今日の職場。」

 福岡市国際会議場で、福岡市保育研究大会。なんと保育士1300人。ありがたく、心をこめてお話をさせて戴きました!

  「ついに、ハゲた男前が!」 (2011/2/28)

 ついに、ハゲた男前が出ました! 社会意識としての髪の毛(ハゲ)差別に一矢! かっこいい男前の基準から、髪の毛が(文字どおり)抜けました! 人間の値打ちは中身や! 大歓迎。大阪駅にて。

2011年3月

  「完売お礼!」 (2011/3/1)

 3月30日(水)18:30開演の、繁昌亭夜席「露の五郎兵衛第二回追善の会」は、早々と完売になりました。私の不手際で、私にお申し込み戴いた20人の方に、泣く泣くお断りをしなければならない事態になってしまいました。まことに申し訳ございません。ご勘弁くださいませ。

  「架け橋 長島・奈良を結ぶ会」

 ハンセン病元患者の人間回復を願い、岡山県の長島愛生園をはじめ各療養所へ訪問・交流を続けた「架け橋 長島・奈良を結ぶ会」が、入所者の美術作品を奈良で展示する「長島美術展」。回を重ねて26回(年)! 最近は全く手伝いにも行かず、名前だけの会員ですが、初期の頃は私も事務局の一人でした。ちなみに、架け橋の字は、私が会報を出すに当たって適当に書いたもの。いつの間にか、ロゴのように用いられています。申し訳ない。それはともかく、「らい予防法」という悪法のむごさ。提唱した光田医師は、文化勲章受賞。悪いのは「らい菌」であって患者は被害者なのに。今年の第27回は、秋に御杖村で開かれます。


  「今日の仕事場!」 (2011/3/4)

 大阪、中国領事館 。玉之助さんと出番を戴きました。他は中国の芸能ばかり。願生!

新彊ウイグル地区の踊り。


国際女性デーを記念しての女性の集い。

  「今日の職場、島根県飯南町。」 (2011/3/5)

 島根県飯南町頓原、さつき会館。会場準備は、皆さんのお力で。皆さん、自らテキパキと動かれます。ありがたい! 高座の前の演台で、お笑い人権咄。お中入りを挟んで、玉之助さんの太神楽。その後、落語を一席。今日は「柳田格之進」をやりました。長かったけど、よく我慢して聞いて戴きました。大慌てで片付けて大田市へ向かいます。

皆さんのお力で会場準備。

高座の前に演台。


  「島根県大田市 志学町づくりセンター」

 4日の夜席会場。大田市三瓶町の志学町づくりセンター。

会場も準備完了。

夜席も盛り上がっています! 玉之助さん、絶好調!


  「第15回あったか寄席 。」 (2011/3/6)

 島根県雲南市加茂町にて、あったか寄席。遠くは、滋賀県草津市から(あのYさん、Uさんコンビ)、県内も、大田市、浜田市、松江、川本などからも来て戴き、満員御礼! 今回は、吉田智弥さんと玉之助さんがお初。お二人とも大好評。吉田さんのお話は、西光万吉の知られざるお話。水平社発祥の地、奈良の解放運動、熱と光を求めての演芸運動などなど。島根の人たちには新鮮な話ばかり。いいご縁が広がりそうです。玉之助さんは、天井の低い会場で、お客が車座になっての観賞。やりにくい中さすがの至芸。あったかい雰囲気は打ち上げも続き、奈良と島根の解放運動の熱い交流で盛り上がりました!
 結局、島根県三ヶ所は全て「柳田格之進」でした。皆さん、長い、笑いのない話によくお付き合い戴きまして、本当にありがとうございます。往復車のハードな旅でした。玉之助さんに感謝。


  「福知山市民病院にてお笑い人権高座 。」 (2011/3/7)

 今日は今から、病院職員に対して院内研修会。今日と明日、一回140人の予定。命の修羅場で日々神経をするへらしてお勤めね方々の貴重なお時間を戴きます。願生!


  「『あせり』という駅名がありました。」

 福知山から京都へ向かう途中、「あせり」という駅がありました。名前のわりには、各停がのんびり停まります。焦っていません。

 漢字はこうです。


  「今日も福知山市民病院。」 (2011/3/8)

 職員も多く交代勤務なので二日公演。ということでまた福知山に来ました。2回聞いて戴ける人があればいいのですが。話は少し深めるつもりですが、果たしてうまくいくかどうか?願生!


   「鹿と衝突。」

 福知山から園部経由で京都へ帰る途中、保津峡のトンネル内で電車が急停車。なんと鹿と衝突! 鹿でよかった。人生何があるかわからない。


  「夜間中学から。」

 東大阪市の夜間中学から『笑』の字がいっぱい届きました。習字の時間に書いてみたそうです。八人のうち一人を除いて、みなさん在日のオモニ(お母さん)。笑顔が浮かんできます。山田洋二監督の映画「学校」のタイトルも、岩井好子先生主催の、麦豆教室」のオモニの字でした。麦豆教室とは、夜間中学を「卒業?」した人の学びの場。昔、朝鮮で月謝の代わりに、麦や豆を一掴み持っていったという故事に因んだ名前です。



 「YouTube効果!」

  以下、滋賀県からの講演依頼のメールです。 『ありがとうございました。依頼主の担当者さんも喜んでおられました。担当者さんは中国の方です。YouTubeで新治さんの中国語落語公演を見たそうです。中国語、素晴らしいとのことで、楽しんで聴かせていただいたと、おっしゃっておられました。』感謝、感謝!
【YouTube はこちらからどうぞ


  「第18回さぬき大内新治寄席。大盛況」 (2011/3/12)

 香川県東かがわ市、旧大内町福祉会館。過去最高の入りの180人で、仕切りを開けて会場を広げるほど。テレビを見て怖くなり、スイッチを消すほどの大惨事。けど無事に生きてる者は、元気で生きて、少しでも被災者のお支えをしようと、募金箱も置きました。かなりの浄財が集まりました。番組は「前説」・新治、「時うどん」・団姫、「まんじゅう怖い」・石松、「鍬潟」・こけ枝、(お中入)、「中村仲蔵」・新治。ところが、私が終わってもお客様は席を立ちません。よく見ると、お楽しみ抽選会を待っておられます。慌てて、手拭いを用意して、全員でプレゼント。今回は3月11日に結婚入籍した団姫を祝って、3月11日に縁のある人。結婚記念日、夫や子や孫の誕生日、孫の卒業式、親の十三回忌、果ては、昨日、羽田で24時間閉じ込められた人などなど。実に様々な3・11メモリアル。しかし、これからは全ての人にとって忘れられない日になってしまいました。無惨に命を奪われた方々のことを思うと、ほんまに辛くなります。せめて、させて戴けることを捜してさせて貰います。しかし、原発の怖さを改めて知りました。地元へ莫大な補助金、協力金は、大変なリスクと引き換えだったということが、残念ながらわかってしまいました。日本中、安全な所はありません。ほんまに怖いことです。合掌


 「綾川寄席も超満員!」(2011/3/13)

 番組は、「時うどん」・団姫、「動物園」・石松、「始末の極意」・こけ枝、(お中入)、「放送よもやま噺」・植松おさみ、「中村仲蔵」・新治。
 義捐金(義援金)は、大内、綾川で15万円以上集まりました!それぞれの役場にお渡ししました。大内は、事務局長の上村さんが、東かがわ市の副市長ですので、そのまま。綾川町は、役場で幹部の皆様立ち会いのもと、町長さんにお渡ししました。

  


  「三重県大山田 梅まつり」(2011/3/16)

 三重県伊賀市大山田、ライトピアおおやまだ恒例の「梅まつり」。義援金も募ります。願生! 出演は「時うどん」・ 露の眞、「ふろしき」・新治、「コメディマジック」・こんばらさん、「太神楽」・豊来家板里、「歌」・インディ。

出演者

インディさんと露の眞さん

こんばらさん

豊来家板里師匠の妙技!

露の眞(まこと)、どじょう掬い。


 「言葉がありません。」(2011/3/22)

 今回の地震、津波、そして人災の原発事故。阪神大震災以後、もう生きてるうちにあれほどの災害には出会わないだろうと思っていました。あまりのむごさに言葉もありません。この三月で、我が同級生は定年を迎えます。忘れられない三月になってしまいました。昨年、宮城県本吉町に行き、民宿で「とげの動いているウニ」を戴き、そのひたすら甘い極上の味を満喫しました。その民宿、なぎさも跡形も無く流され、家族全員が行方不明。行方を捜す家族すらいないのです。胸が痛くなると言いますが、本当にそんな気がしました。高座を勤めたお寺は高台にあり避難所になっているとのことで、早速手紙とカンパを送らせて戴きました。
 私自身は、喉の治療でしばらく休業、休養しています。人生の「お中入り」前の、最後の仕事と四国へ向かっている時に地震が起こりました。まことに、絶対の安心も、磐石の幸せもないのですね。あやうい命を、なんとか続けさせて戴いてるのですね。勘違いせず、ありがたく生きてゆきます。
 原発に関しては、多少関心を持っていたので(今回、何にも知らんということも分かりましたが)、「とうとう悪魔の箱を開けてしまった」という気持ちです。25年ほど前、私にしては破格のギャラで「原発安全PRビデオ」に出演依頼が来ました。当時、「在日朝鮮人被爆者の記録映画」を岩井好子先生が作るというので、我が家が「大阪連絡所」になっていました。それで、「原爆と原発は違う」とかなり説得されましたが、泣く泣く断りました。「きっぱり」ではありません。なにしろ「破格のギャラ」ですから。それで一応反原発の立場を貫いたと安易に考え、電気を無駄遣いしながら、気楽に生活してきました。結局原発に依存していたのです。一貫して反対運動をしてこられた人たちも、今回は無力感に包まれていると思います。福井には「もんじゅ」という世界一の高速増殖炉が、二本の活断層の上にあるそうです。それでなくても危うい人の生をますます危うくする「資本主義」とは、ほんまになんでしょうか?便利で快適な生活には、大変な危険が伴っているのですね。

 今は、せめて生き残られた方々に、さしてもらえることをさして戴くつもりです。皆様、どうぞご自愛なさって、お元気でいてくださいませ。
 子規の「悟りと言うのは平気で死ねることではなく、何があっても平気で生きてゆくことである」という言葉を思いだしています。例年なら、大相撲の春場所を見ながら、春を待っていますのに。 合掌


 「原発関連団体は『天下り』の巣窟。」(2011/3/29)

 知り合いのFさんからのメールを転送します。この原発行政を進めてきたのが自民党政府だということを忘れないようにします。
日刊ゲンダイの記事を紹介して戴きました。
http://netallica.yahoo.co.jp/news/177465


 「追善公演は失礼させて戴きました。」(2011/3/30)

 繁昌亭の露の五郎兵衛追善公演は失礼させて戴きました。間に合うよう治療に専念したのですが、まだしばらく大きな声を出せないので、すみませんが、高座は遠慮させて戴きました。一門はたくさんいるので番組としては問題ないと思いますが、申し訳ありません。3月31日は、我が同期生が定年を迎え、最後の勤務の日。明日の高座だけはなんとしても勤めたかったのですが、残念です。

 「高座に上がれないのは少し寂しいものでした。」(2011/3/31)

 昨日の師匠の追善公演。お手伝いで楽屋にいましたが、高座に上がれないのは寂しいものでした。お客さまをお見送りしていたら、何人も声をかけてくれます。ありがたいのと、申し訳ないのとで、しんみりしてしまいました。明日から高座復活を目指して、声をださずに精進します。普通に声が出ることがどれだけありがたいか。失ってみてよく分かりました。頭の先から足の先まで、本当にありがたいことです。今はほんまにそう思います。


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